あの時に似てる
「会社を動かすのは理念に共感した社員の”行動と言葉”である」
最近のウィークリー全体会議で伝えた当社経営の信条の一つである。
現在は出社を要する一部の職種以外テレワークになっており、全体会議もWeb会議(当社はTeamsが多い)での開催だ。この方法ももうすぐ一年近くになる。自宅のノートPCの液晶画面から見える社員は全員ミュートにし表情も平面的で反応がとらえ難い。
私自身はテレワーク肯定派である。
コロナ禍によって否応なく始めることとなって以来、皆に定期的に尋ねてきた。
「テレワークで何か問題ない?」
「いえ、大丈夫です。ちゃんとできていると思います。」
確かに疎かになっている業務はなさそうだ、だがそのうちにあることが気になった。
みんなのマインドがギグエコノミー化してないか??
思い出した。これは自分が駐在時代に感じたあの感覚と似ている。
単身米国で仕事を開始した頃だ。距離と時差という超えられない壁になんとなく苛まれていた。
オフィスで時空を共有している同僚とは無意識のうちに様々な情報を発信・共有していることに気づく。
営業がリセラー様からの電話で急な納期改善依頼を受けているようだ。会話が耳に入った出荷担当者は、この時間ならまだ明日のチャーターの手配なんとか間に合うかもしれないと思い、詳細不明ながら見切りで問い合わせをかけ始めた。
リセラー様と通話している営業の声はどことなく守勢だ。向かいの自席で聞くともなく聞いている相方の技術の顔色は冴えない。どうやら思い当たることがあるようだ。ふとその姿が目に入った担当営業は即座に声色と態度を整えなおして一転コールバックを申し出た。
マーケティング担当者が朝から黙々と何かに取り組んでる。そうかリセラー様に配布する価格表の更新か。膨大なSKUを誤りなく更新する集中力を要する作業だ。頼みたいことがあったが時間的には少し猶予があるから今日は価格表に専念してもらって明日にするか。
そう、自分では気づいていないだけなのかもしれない。
テレワーク問題ない?って尋ねても当人が意識できていることしか判明しない。
受けた仕事を卒なくこなせているので問題ない、それが事実ならばそう応じるのは当然であるし、自分も駐在初期はそればかり気にしていた。だが早晩気付く。物理的にはカリフォルニアと日本で離れていても、共に仕事をする者同士、単に仕事を受け渡しするだけではなく互いに理念に対する共感を交換しあうべきことを。それが同じ会社にいる者同士を結び合わせるプロトコルだから。
無意識のうちに見聞したことを取捨選択し、そこから必要な意味論を抽出、瞬時に的確な判断につなげる。
従来は当たり前のようにしていたことができなくなっている。
つまり冒頭の経営の信条の礎になっている「理念に共感した同僚の行動と言葉」に触れることが減っているのだ。
与環境が異なる以上同じように無意識の力を頼みにはできないが、その分意識の力を一層頼みにするよう経営を修正する必要があることを覚える。
(代表 古田 雅一)
*写真は京浜島から臨んだ羽田空港駐機場の遠景@1月末。好きな旅行を楽しめる日の再来が待ち遠しい。